Matsuyama #2
春や昔十五万石の城下かな
松山出身の俳人、正岡子規が詠んだ一句。
松山市の中心部にある松山城は
城山山頂に本丸、山麓に二之丸、平地に三之丸 (堀之内) を持つ広大な平山城。
1602年に着工、日本で最後の完全な城郭建築 (桃山文化様式) を持ち
「現存12天守」(江戸時代以前に建造された天守で現在日本に残っているのは全国で12城しかない) のひとつ。
天守をはじめ、建造物中の21棟が重要文化財に指定されています。
実はすごい松山城 (笑)
この松山城を中心に、碁盤の目に整備された城下町が広がる松山市の中心街。
ゆったりとしたお堀とお城のある街、そしてその周りを風情あるチンチン電車が走る
私はこうした風景の中を、特に日が暮れてお堀端に明かりが灯る頃
自転車で走る抜けるのが大好きでした。
大好きな松山城へ、子供達も一緒に。
あつーいあつーい日、でした。
お城に登るときに必ず訪れるのが、本丸広場にある御茶屋さん。
ここで食べるおうどんや、鯛めしは最高♪ 今回もここで腹ごしらえをしつつ歴史を勉強。
松山城の創設者は、秀吉に見出された後に、関が原の戦いで徳川家に従軍した加藤嘉明。
(↑色々裏がとありそうな歴史のロマンを感じる・・・)
その後蒲生忠知が二之丸を完成させた後、徳川家康の異父同母弟松平定勝の子
松平定行が城主となって明治維新まで14代世襲しました。
松山城の天守の紋章は、徳川家とゆかりのある「丸に三つ葉葵」
まさに「水戸黄門の印籠」(笑)。大切な門や入り口に掛かる、白地に黒で染め抜きされた
「葵の御紋」を見ながら、実は素敵なデザインだな、と改めて思ったり。
松山城内は全木造。実はこれ、珍しいことなのだそう。
そして松山城の床は、黒光りするすべすべの木。
入り口にスリッパが用意されているけれど、時々それを脱いではだしで床に触れてみます。
ひんやり、すべすべ。それでいてどこか温かい。
やはり木はいいな、と。
天守に向っていくつもある、大人でも登り降りが大変な、急勾配の階段。
子供達はハイハイ様式で身軽に登っていきます。
子供達を見習い、同じくハイハイ様式で狭くて急な階段をいくつも登りきる
そして天守から見る本丸広場と、城山の下に広がる城下町。
深呼吸・・・天下を取った気分。わっはっは。
松山が母のふるさとでよかったと心から思いつつ
むすこが心待ちにしていた「アンパンマン列車」に乗って移動です。
ちなみに、JR松山駅で利用されている電車発着時のメロディーは
「瀬戸の花嫁」 (うた・小柳ルミ子)
瀬戸は日暮れて 夕波小波
あなたの島へお嫁に行くの~♪
どこまでものんびり、穏やかな松山。また来るよ~♪
目指すは花の都、京都
あづーい京都
はんなり京都
美味しい京都
・・・つづく。